【写真素材】 夏祭り・京都祇園祭・山鉾巡行
2011年 06月 10日
疫病の流行により朝廷は863年(貞観5年)神泉苑で初の御霊会(ごりょうえ)を行った。しかし、その後も疫病の流行が続いたために牛頭天王を祀り御霊会を行って無病息災を祈念した。869年(貞観11年)全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛にに諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来の化身牛頭天王を祀り御霊会を執り行ったのがその起源であるという。祇園祭が生まれた直接の背景は、平安京がもともとが内陸の湿地であったために高温多湿の地域であったこと、建都による人口の集中、上下水道の不備(汚水と飲料水の混合)などにより、瘧(わらわやみ=マラリア)、裳瘡(天然痘)、咳病(インフルエンザ)、赤痢、麻疹などが大流行したこと。その原因が先に大水害により挫折した長岡京遷都工事中に起きた藤原種継暗殺事件で無実を訴えながら亡くなった早良親王ら六人の怨霊の仕業との陰陽師らによる権威ある卜占があったこと、などである。さらに、1世紀後の970年(安和3年)からは毎年行うようになったとされる。これらの祭式は神仏混淆の儀式として成り立っていた。
中世の一時期、八坂神社は北野天満宮と共に比叡山の支配下に置かれた時期があった。この時期、八坂神社は日吉神社の末社とされ日吉社の山王祭が行われない時に祇園祭が中止になったり延期になる原因となった。
※写真のクリックでPIXTAダウンロードページが別画面で開きます。
ダウンロード・写真の確認はPIXTAページより可能となっています。
さらに室町時代に至り、四条室町を中心とする(旧)下京地区に商工業者(町衆)の自治組織両側町が成立すると、町ごとに風情を凝らした山鉾を作って巡行させるようになった。その後、応仁の乱での30年の中断や第二次世界大戦などでの中断はあるものの、現在も続いており、千年を超える歴史がある。なお、名称は明治維新による神仏分離令の影響で「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」より「祇園祭」と仏教色が排除されたものとなっている。
室町時代以来、祇園祭のクライマックスは山鉾巡行であったが、現在ではいわば「巡行の前夜祭」である宵山に毎年40万人以上の人が集まり盛り上がりを見せるため、祇園祭といえば宵山を先に思い描く人も多い。
ちなみに諺で時機を逃して用をなさないことを「後の祭り」というものがあるが、これは祇園祭の大一番である山鉾巡行・神幸祭神輿渡御が終わり、この後の祇園祭がたいしてメインとなるものがないことからこの諺が言われるようになったとされる。また、祇園祭は1966年(昭和41年)まで「前祭」(7月17日)と「後祭」(7月24日)の2回に分けて山鉾巡行を行っていた経緯があり、「前祭」では山に加え豪華絢爛な鉾が多数巡行するのに対し、「後祭」では鉾の巡行が無く山のみの巡行で、小規模であることからこの諺が言われるようになったという説もある。
住まい・インテリアの写真素材PIXTA(ピクスタ)から
ここから著者の全部の写真素材が見れます!
----------------------------------
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
相互リンク[マイフォト]
中世の一時期、八坂神社は北野天満宮と共に比叡山の支配下に置かれた時期があった。この時期、八坂神社は日吉神社の末社とされ日吉社の山王祭が行われない時に祇園祭が中止になったり延期になる原因となった。
※写真のクリックでPIXTAダウンロードページが別画面で開きます。
ダウンロード・写真の確認はPIXTAページより可能となっています。
さらに室町時代に至り、四条室町を中心とする(旧)下京地区に商工業者(町衆)の自治組織両側町が成立すると、町ごとに風情を凝らした山鉾を作って巡行させるようになった。その後、応仁の乱での30年の中断や第二次世界大戦などでの中断はあるものの、現在も続いており、千年を超える歴史がある。なお、名称は明治維新による神仏分離令の影響で「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」より「祇園祭」と仏教色が排除されたものとなっている。
室町時代以来、祇園祭のクライマックスは山鉾巡行であったが、現在ではいわば「巡行の前夜祭」である宵山に毎年40万人以上の人が集まり盛り上がりを見せるため、祇園祭といえば宵山を先に思い描く人も多い。
ちなみに諺で時機を逃して用をなさないことを「後の祭り」というものがあるが、これは祇園祭の大一番である山鉾巡行・神幸祭神輿渡御が終わり、この後の祇園祭がたいしてメインとなるものがないことからこの諺が言われるようになったとされる。また、祇園祭は1966年(昭和41年)まで「前祭」(7月17日)と「後祭」(7月24日)の2回に分けて山鉾巡行を行っていた経緯があり、「前祭」では山に加え豪華絢爛な鉾が多数巡行するのに対し、「後祭」では鉾の巡行が無く山のみの巡行で、小規模であることからこの諺が言われるようになったという説もある。
住まい・インテリアの写真素材PIXTA(ピクスタ)から
ここから著者の全部の写真素材が見れます!
----------------------------------
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
相互リンク[マイフォト]
by yychs
| 2011-06-10 13:20
| 歴史のある建物